三題噺「コーヒー」「河川敷」「夢」
2013年2月28日私の家は川沿いにあり、家を出て真っ直ぐに進むと開けた土手に辿り着く。河川敷には自由に遊べる広場が設けられており、日曜の昼頃であるこの時間帯は、地元の子供達が飽くことも無く遊び呆けている。泥だらけになった少年達の光り輝くような汗と、突き刺すような太陽の光。それを眺めながら考え事をするのが私の週末の過ごし方だ。 視界が広いからか、ここにいると私は自分がとても小さくなったような気がする。その所為なのだろうか。私はよくここで、幼かった頃の事を思い返してしまう。 小学生の時の私は、友達を呼んでよくこの河川敷に来ていた。友達三、四人を連れて、放課後に河川敷に集合する。ただ、決して私達は土の上で動き回ったりはしなかった。草の上に座り込み、皆で話をするのだ。青春真っ盛りの中高生のように、将来の事や、家族の事を。日が暮れるまで、とにかく話し続けるのだ。 時に、小銭を持ち合い近くの自販機でジュースを買い込んでいく事があった。お金を持ち歩き、ジュースを買い、それを仲間達と一緒に飲むという行為がとてつもなくオトナなものに思えたものだった。 その時の癖で今でも私はここにくる途中で自販機を見つけては何かを買ってしまう。昔はオレンジジュースやコーラばかり飲んでいたが、最近では殆ど飲むことも無い。今日の私は、最近飲めるようになったブラックコーヒーを買い込んでいた。 色々な事を思い返しながら歩いていると、懐かしいものが見えてきた。河川敷には、川の向こうとこちら側を繋ぐ為の道路橋が作られている。河川敷と河川敷を繋ぐ緩いアーチ状の道路橋は下から通ると、とても短いトンネルのようになっていて、そこにいると上を通る車の音や振動を感じることが出来た。 昔ここで皆と集まった時、将来の夢を書きあった事を思い出した。道路橋を支える柱をカッターで少しだけ削り、それぞれの夢を書き残したのだった。 せっかくなので、久しぶりにそれを見ることにした。一体、何を書いたのだったろうか。 手前から二つ目の柱を注視すると、私の夢が小さく書かれていた。それを見て私は思わずニヤリとしてしまった。 「ブラックコーヒーが飲めるようになりたい」 空は少しずつ暗くなっていき、川も色を沈める。静かに揺蕩う黒い川は、ブラックコーヒーのよう。幼い頃の私も、きっとそう思っていたのだろう。 僅かに残ったコーヒーを喉に流し込む。口中に広がる苦さの後に、ほんのりとした清々しさを感じた。中絶薬蟻力神
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